二束三文

ああ、漢字で書くとこうなるのか、と思う。

昨日、長崎市長であり、現在行われている市長選挙の候補者でもあった伊藤一長氏が射殺された。

本当に、心から冥福をお祈りする。


選挙運動期間ということもあり、対立する政治的勢力によるテロかという話もあったが、実際にはより広範な「行政対象暴力」であるようだ。
だからといって、それが「政治」や「言論」に対する暴力にくらべ軽いわけではない。

行政とは、政治が考えることを現実する実体である。
その実体が、暴力の恫喝によって節を曲げれば、政治がもつ理想も実現しないだろう。
その意味では、行政に対する暴力も、「政治」や「言論」に対する暴力と同等の深刻さを持つ。

で、思うこと。
実際の所、今回の市長はさすがに深刻さをもって捉えられているかもしれないが、一般の行政官吏に対して同じ事が起きたとき、果たしてここまで深刻にとられるのだろうか。最近の風潮では、行政関係者、いわゆる公務員の命など二束三文にも足らんという風潮である。
多少恫喝されたところで、「いい気味だ」、と捉える人間も多くいるだろう。この状況では、そういうのは無くならないよ(それが、Only Oneの理由ともいわないが)。
確かに、腐った行政官吏は沢山いる。でも、腐った人間を晒しあげるだけじゃ何ともならんよ。



それと、ネット上で話題になる「炎上」というやつだ。
個人的にはヤのつく職業の人がトカ○フ振り回して他人を恫喝するのと、何にも変わらない。
そんな風に思う。